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トイジャーナル1980年代要約Ver.3

男玩
・1979年の年末商戦を制したのはダルタニアス
 既に「視聴率と売上は関係ない」と言われていた
・イデオンはLSIを搭載した初のキャラクター玩具
・宇宙合体(ゴッドシグマ)+分身合体(ゴーディアン)で
 未来合体(ダルタニアス)の130%の売上が見込まれていた
・ゴーディアンはゴッドシグマに売上では負けたが、期待は遥かに上回り品切れが続出した
・トライダーG7は合金玩具としてはガンダムに対して110%の売上だった。
 またダイオージャはトライダーよりも売れたらしい
・ガンダムは高校生以上に売れた初のロボットアニメ
・ガンダムによってプラモの塗料もよく売れるようになった
・ゴールドライタンは150万個、サンバルカンは55万個、ゴライオンは43万個の売上
・ブライガーのヒットによってタカトクは売上が150%に
・ブライガーは5000円を切る低価格のロボットだった
・ゴライオンの9800円は高すぎるとの意見が多かった
・ゴライオンは少子化により売上数量が減る対策として単価UPを狙ったものだった
・ザブングルは夏休みになると二体のザブングルが合体する予定だった
・ザブングルの複雑な変形はプラモでは無理だったが合金玩具ではできていた
・ポストゴライオンはゴッドマーズだった(同じ9800円)
・1981年のバンダイの男児キャラクターのシェアは50%程度
・マクロスの売上は最初の三カ月で30億円
・田宮会長によると当時の模型市場の40%がアニメモデルとされていた
・サンダーバードの流行が10カ月しか持たなかったのにガンダムの流行は3年以上続き
 「もうこれを越えるものはそう簡単には出てこない」(青島社長)と言われていた
・ダンバインは直線的な巨大ロボットに飽きが来ていると判断されたためのデザインだった
・ダーナオーシーやゼラーナもしっかり商品化
・ドルバックのスポンサーはグンゼ
・バイファムはサンライズ初のゴールデンタイム放映のアニメ
・オーガスは受注30億円を達成
・ダイナマンはゴーグルファイブに対して120%、シャリバンはギャバンに対して100%、
 アルベガスはゴッドマーズとダイラガーを足したものに対して60%の売上
 (全て83年11月号での年間見込み)
・1983年は1000円以下の低価格の男児キャラクターが躍進した年で
 マシンロボは昨年対で200%、ミクロマンは250%の売上 (いずれも83年11月号での見込み)
・ナウシカは映画化前に玩具メーカーとのタイアップが決まっていた。
 ラピュタ、トトロ、魔女宅も同様
・オーガスは出荷ではマクロスの70%と予測されていたが
 売上は40%程度に留まり過剰在庫になった
・ミクロマンのガンロボが予想を若干下回った理由は
 「母親にガンに対する拒否反応があったためだろうか」と推測されていた
・グランドバースもやや期待を下回った
・結局、83年年末商戦で一番人気はあまり期待されていなかったキン肉マンだった
・1983年の男児キャラクターは購買層が重なるビデオゲームに押されて不振だった
・ダイナマンは610万個で95億円の売上(2~12月)、マシンロボは1983年分のみで610万個で45億円
・バイオマンあたりから戦隊シリーズは「安定感がある」と評されていた
・トランスフォーマーの米国での売上は半年で1800万個の269億円
・レンズマンのスポンサーはトミー。理由は
 「サンダーバード、ガッチャマン、そしてヤマトというように5~6年ごとに
 SFオペラ、スペースシップーのブームが来ており、今年はそのサイクルに当たる」(上原宗吉専務)から
・バンダイの84年年末の計画ではバイオマンがダイナマン対比で数量100%、金額130%、
シャイダーがシャリバン対比で数量140%、金額150%、レザリオンがアルベガス対比で金額70%、
キン肉マンはパーマン対比で300%
・バンダイの84年9-12月の出荷予定ではバイオロボがダイナインBOX対比で数量105%
 DXレザリオンはデンジンボックス対比で数量85%、バビロスがグランドバース対比で数量130~140%
 レザリオンを100とするとバイオロボが120、バビロスが150になるらしい
・タカトクとクローバーの倒産により1984年の年末年始商戦の男児キャラクターにおける
 バンダイのライバルはタカラとトミーのみになっていた
・1984年年末の男児キャラクターの単品ではシャイダーのバビロスがトップ
 シャイダー全体の売上はシャリバンに対して306%
・バイオマンはダイナマンに対して110%の売上。ただし若干、過剰出荷で稼いだ売上らしい
 実買では107%程度とされた
・バイオマンの売上は戦隊シリーズ過去最高
・レザリオンはアルベガスに対して38%
・タカラの売れ線はパワードコンボイとラジカセロボで両者の数量比は2.2対1らしい
・レンズマンはやっぱり不振に終わったらしい
・1984年のキン肉マンは100億円を売り上げた(85年3月号)
・トランスフォーマーの当初の番組名は「変身戦隊トランスフォーマー」だった
・ガンダムブームのピークは1982年で主な購買層は10歳の男子
 このためZガンダムのターゲットは13~14歳の男子だった
・トランスフォーマーは「ロボット水滸伝」と評されていた
・85年夏休み商戦でプラモは大苦戦、ファミコンに子供のおこづかいを取られた
 このためZガンダムも今一つだった
・GOBOT(マシンロボの米国名)の1984年の売上は6000万ドル(約140億円)
・トランスフォーマーの日本発売一カ月の売上では
 1位コンボイ、2位リフレクター、3位インフェルノ、4位サウンドウェーブ、5位メガトロン
・チェンジマンとジャスピオンは販売店の要望で放映が一カ月伸びた
・ガンダムZZは「機動戦士ガンダム・ダブルZ」と書かれていた
・1985年末年始商戦男児キャラクター単品 ベスト8(順不同)
 電撃合体チェンジロボ(4950円)、トランスフォーマー・コンボイ(3900円)、DX超合金ダイレオン(4500円)
 DXパワーバズーカ(4980円)、ゾイドアイアンコング(3800円)、超獣合身ダンクーガ(5800円)、
 オバQ・パチリンカメラ(3800円)、ゲゲゲハウス(2980円)
・同商戦での商戦での男児キャラクターのシェアは
 65%がバンダイ、30%がトランスフォーマー、5%がゾイドと分析されていた
・同商戦でキン肉マンは「最も期待を裏切った」がファミコンカセットでは人気が高かった
・ジャスピオンはシャイダーに対して80%程度の売上
・チェンジロボはバイオロボを上回り、シリーズとしてもチェンジマンはバイオマンを上回った
 ただしマシンロボはチェンジマン以上で1986年のバンダイの最重点商品とされた
・小学生がファミコンによってプラモデル離れを起こした
 このためアニメモデルを販売する会社はバンダイ1社になった
 ただしガンダムの人気は依然高く昨年(85年)は前年(84年)の二倍売ったらしい
 しかし購買年齢層もかつてより高齢化
・86年の2月~4月にかけては戦隊シリーズが品薄なためトランスフォーマーのシェアがアップ
・トランスフォーマーは低額商品が充実していて平日も売れた
・ガンダムは1986年4月の段階で1億個で500億円の売上
 キン肉マンの1985年の売上は66億円
・バンダイの売上480億円のうち6割がキャラクター玩具で10億円以上売れるのは12-13キャラ
 「少数精鋭では困る」(山科誠)とのこと
・1980年代の米国は「愛国ムード」に包まれていて戦争玩具の売上は
 1985年で10億ドルの2億1100万個。1982年に比べると600%
・GIジョーは1985年の全米玩具売上で第5位、男玩に限れば第3位
 トランスフォーマーに次ぐアメリカキャラ第二弾として期待されていた。初年度目標15億円
・フラッシュマンの対象年齢は3~5才、マシンロボは7~10才、ガンダムは9才以上
・マシンロボの東京地区での視聴率は第1回が6.2%、第2回が5.0%、「まぁ良し」とのこと
・86年夏休み商戦を制したのはトランスフォーマー
 メトロフレックス、ウルトラマグナス、ブルーティカス、スペリオンの順の売上と推測されていた
・マシンロボ、鬼太郎、ドラゴンボールは今ひとつでバンダイの男児キャラは昨対90%程度
・GIジョーも今ひとつだったがトランスフォーマーも出足が鈍かったのでまだ期待されていた
・鬼太郎は男玩なのにも関わらずハウスが売れていた
・11月の段階だと1位メトロフレックス、2位ウルトラマグナス、3位ダイナザウラー、4位ガルバトロン
・1986年末年始商戦
 1位ファミコンソフト、2位トランスフォーマー、3位フラッシュマン
 4位ゾイド、5位シルバニアファミリー
・同商戦のトランスフォーマーは昨対30%~35%アップとされた
・11月に秋に入ってから不調だったフラッシュマンがフラッシュタイタンで急浮上
 ただしバンダイ全般では年末商戦で「フラッシュタイタン以外、今ひとつ」と言われた
・1986年の3月~11月のゾイドの売上ベスト5
数量1位サーベルタイガー、2位ヘルキャット、3位プテラス、4位ハンマーロック、5位ゴジュラス
金額1位ウルトラザウルス、2位ゴジュラス、3位サーベルタイガー、4位アイアンコング、5位サラマンダー
・1986年のトランスフォーマーの生産の40%は海外
・トランスフォーマーの「デストロンの逆襲」キャンペーンで
 デストロンとサイバトロンの売上比率が3対7から5対5になった
・アメリカで売れていたトランスフォーマーとマシンロボが
 国内に専念するようになったのは円高が原因
・ジリオンはセガがスポンサーになる初めてのアニメ
 アメリカで流行っていた光線銃を日本で売ろうという狙いがあった
 アメリカで光線銃が流行っていた理由は前述の「愛国ムード」によって
 流行ったサバイバルゲームを安全に楽しめるから
・ジリオンのターゲットは小学生男子
・星矢の購買層は対象年齢が通常のキャラクターよりも高く「キン肉マンと同じ」とされた
・マスクマンと星矢でバンダイが復調。特に星矢は品薄に。両者の売上の比率は6対4
・星矢の人気はペガサス、ドラゴン、キグナス、フェニックス、アンドロメダの順
・1987年4月~1988年6月のトランスフォーマーは前年割れ
 やっぱりトランスフォーマーが不調になったのはヘッドマスターズになってから
・ヘッドマスターズ直前はプレダキング(11000円)が活躍して昨年対比をクリア
 年末でもないのに、この金額の商品の動きは「信じられない」と言われていた
・サーベルタイガーは40万個出荷。シールドライガーはその後継として開発された
 これを売り出すため6~8月のゾイドのTV宣伝は昨対1.5倍
・赤影のスポンサーはトミー
・ヘッドマスターズは年末を除くとクロームドーム中心だった
・メタルダーは最初は好調だった
・87年の夏休み商戦ではマスクマン、マシンロボともに昨年より落として
 星矢が男児キャラのトップに立った
 リードアイテムはゴールドクロスのサジタリウスでゴールドクロスの40%とされた
・同商戦でゾイドは出荷が昨対170%、売場で昨対200%とされ品切れが顕著だった
・ゾイドの1987年上半期の売上は昨年対で275%
・ゾイドバトルストーリー2が10万部販売を達成
・「ヘッドマスターの謎プレゼントキャンペーン」で2万2千通の応募
・フォートレスマキシマス(12800円)は初回納入分が即品切れ
 年末のマキシマスの生産数量は昨年のダイナザウラーの7~8割程度を予定
・品薄が続いていた星矢の生産体制が87年年末でようやく整う
・仮面ライダーBLACKは40社で商品化。500種ほどの商品が発売。
 年間5億円以上の版権収入を見込む。市場規模は小売ベースで200億円を見込む(87年12月号)
・1987年末年始商戦のトランスフォーマー
 1位フォートレスマキシマス、2位ライデン、3位メガザラック
・1980年代でバンダイ模型部門がもっとも冷え込んだのは1987年(原因はおそらくドラグナー)
・マテル社が開発した「インターアクティブトーイ」とはテレビ番組と連動する玩具
 これを仮面ライダーBLACKがいち早く取り入れた
・ボーグマンはこれまでの光センサーのインターアクティブトーイに対して音センサーだった
・ゴールドセイントは発売されてから星矢の売上の6割を占めるようになった
・ビックリマンチョコは月産1300万個、年間売上45億円
・玩具のビックリマンのメイン商材は塩ビ人形と星矢のようなクロスシリーズ
・87年年末商戦で男児キャラトップは星矢
 「PCエンジンに次ぐ金額を稼いだ」とされた
・ファミコンが発売されてから3年間、男児キャラはファミコンにかなり食われていたが
 87年末商戦で「かなり戻した」とされた
・逆襲のシャアの頃のガンダムのターゲットは小学生~高校生
・88年6月号ホビー特集・スペシャルインタビュー
 東京マルイ岩澤巌社長の発言を抜粋
 「バンダイさんが1億数千万個売られたというガンダムのプラモデル、
 あれを境いに従来のスケールモデルが下降線を辿った」
 「スケールモデルは終ったと判断したわけです」
 「ガンダムはなぜ売れたかをめぐって、社内でも連日連夜討議しました」
 「私どもの結論では、ガンダムは先ず田宮(模型)さんの戦車のファンを取った」
 「第1次世界大戦であろうと、第2次世界大戦であろうと、
 当時の兵器ものはすべてガンダムに市場を取られちゃったんですよ」
・悪役も売れるはずだったトランスフォーマーはマスターフォースのスーパージンライを皮切りに
 主役メカとその強化パーツしか売れなくなった
・1988年末年始商戦男児キャラクター 売れ筋
 ライブボクサー、ライブロボ、ゴッドジンライ、可変龍王丸、マッドサンダー
・同商戦でワタルとサイバーコップは好調だったが
 単価が昨年のトランスーフォーマーより低く、タカラとしては昨年割れ
・同商戦ではゾイドはミニ四駆と競合。「マッドサンダー以外は鈍かった」とされた
・長いこと売れていた星矢は同商戦で大きく落ち込んだ
・フランスで星矢が150万個販売
・1989年のトランスフォーマーはほぼ前年割れ。
 ただし単品で見るとスターセイバーはジンライより好調。売れ筋に集中傾向

女玩
・当初、Drスランプはドラえもんの後継と見なされていたが蓋を開けると女児に売れた
・Drスランプはアニメ化前から「売れる」と言われていた
・Drスランプは男児にも売れるので分類の判断が難しかった
・Drスランプはバンダイの女玩としてはキャンディ・キャンディ以来のヒットだった
 逆に言うとDrスランプまでキャンディが売られていた
・ニルス、スパンク、ジョリィ、メモルは女児にぬいぐるみを売るアニメだった
・1980年代初頭に少女漫画の売上が大きく落ち込んだが理由は
 週刊少年誌と週刊芸能誌に読者を取られたせいらしい
・女子中高生に人気があったタイムボカンの悪玉トリオのフィギュア
 (当時の言い方だとファンシードール)が売られていた
・ミンキーモモやぴえろ魔法少女は玩具がほとんど売れなかった。レディレディの方が好調
・うる星やつら、愛してナイト、かぼちゃワインの女児玩具が売られていた
・愛してナイトの橋蔵くんは「ガッちゃんと同様の需要が見込める」とされていた
・男玩と違って女玩はファミコンと喰いあわず、むしろ売上が伸びた
・1980年代の前半はタカラのリカちゃんやバービーが女玩市場をリードしていたが
 1985年年末商戦でシルバニアファミリーがトップをとった
 また売れないと言われていたハウスものを復活させた
・シルバニアはそれまでLSIゲームに傾倒していたエポック社の方針を転換させた
・シルバニアに対抗してジェニー、バービー両者からハウスが発売
・リカちゃんの1985年の売上は155万体の58億円
・1986年にバービーの日本販売はタカラからバンダイに移るが
 バンダイバービーはタカラの「ジェニーのパクリ」と訴えられた
・あんみつ姫、レディレディ、アッコちゃんなど1980年代後半から
 お母さん受けのいい女児キャラが売れるようになった

ゲーム
・1980年の玩具で一番売上が大きいのはLSIゲーム
・玩具業界は「エレクトロニクスの最先端をいっている」と自負していた
・1980~1982年の間はLSIゲームブーム。全玩具の中でゲーム&ウォッチが一番売れていた
・ゲーム&ウォッチの利点は1万円を越すことが多かったLSIゲームの中で
 廉価(6000円台)だったこと
・1977年にテレビゲームがブームになったことがあった。またその段階で任天堂がトップだった
・テレビゲームブームが終焉した理由はインベーダーブームが原因とされていた
・このため任天堂は1978~1979年はアーケードゲームに注力し、
 テレビゲームは一つも発売しなかった
・ゲーム&ウォッチは任天堂の久しぶりの家庭用ゲーム機だった
・ゲーム&ウォッチで任天堂はLSIゲームでシェア60%を獲得、次がバンダイ、エポック
・LSIゲームが普及する前はゲームと言えば盤ゲームだった
・1982年のアタリ社の売上は4000億円
・1982年の年末年始商戦もゲーム&ウォッチだったが前年比の約50%の売上という
 「期待外れ」のため各小売店は過剰在庫に悩んだ
 これを「LSIショック」とか「LSI後遺症」とか言われていた
・1982年の年末年始商戦で「ポストLSI」として期待されていたビデオゲームだが
 価格が5、6万円と高額だったため売れなかった
・当時で既にパソコンとゲーム機との区別が難しいように言われていた
・1983年に入ると1万円台のビデオゲーム機が望まれていた。
 このことに素早く対応したのが任天堂とセガだった
・ファミコンは当初、流通側のLSI後遺症のため出足が鈍かった
・1983年の夏休み商戦を制したのはファミコンだったが「予想通り」とされていた。
 セガが二番手になったのはこの時から
・1983~1986年までは数量、金額ともに全玩具でファミコンがトップ。
 ただし1985年からはソフト全体の売上が本体を上回るようになった
・ファミコンは「ゴルフ」の発売で大人に人気が出た
・1983年ではファミコンが品切れした後、他社のビデオゲームも売れたが
 1984年では売れなくなっていた
・LSIショックのため1984年にバンダイはビデオゲーム開発を止めていた
・1985年はファミコンブーム、全玩具の3割の売上がファミコンのハードとソフトによるものだった
・キン肉マンはバンダイのファミコン参入第1弾
・ファミコンロボットはとても失敗したらしい
・1985年でセガは既にソフトの書き換えサービスを始めていた
・1985年にナムコがアタリを買収した
・ファミコンに押されてLSIゲームは不振になったのだが
 ガンダムやキン肉マンといったキャラクター関係は売れていたため
 1986年にはバンダイだけなんとか留まっていた
・ディスクシステムはFCN(ファミコン通信網)への布石とされていた
・1985年の年末年始商戦ではファミコン本体よりもソフトの方が売れた
 またソフトでは売れ線に集中する傾向が出てきた
・ファミコン以前では任天堂と激しくハード争いをしていたバンダイが
 「なぜ任天堂からライセンスをしてファミコンをやるのか?」と言われていた
・ファミリーコンピュータマガジンは月間70万部(1986年)
・スクウェアはキングスナイトを大々的に宣伝していた
・イマジニアの「銀河伝承」が予約で20万本を突破。メインターゲットは小学校高学年~中学生
・タカラのファミコン参入第1弾は「コンボイの謎」
・ファミコンの出荷は1986年8月末で843万台、世帯普及率で22%
・1986年の年末年始商戦でファミコンは昨年対で50%と大きく落ち込んだ。
 今度はファミコンショックとは言われなかった
・山一証券がファミコンを使った株式売買のサービスを提供
・87年4月のファミコンソフトは「さんまの名探偵が独走」だったらしい
・ディスクシステムの「ウルトラマン」は35万本、「聖闘士星矢・黄金伝説」は100万本近く
・ファミコン不振が囁かれた1987年にスーパーファミコン開発が発表された
・1969年から6年間は世界の業務用ゲーム機はほとんどセガ製だった
・1980年代の業務用ビデオゲーム機の価格は約30万円
・セガの売上の35%が家庭用で業務用が65%
・ファミコンのヒットで異業種参入が増えた
・ドラクエⅢの発売延期は流通に多大な迷惑をかけた
・ドラクエⅢは予約だけで250万本
・1986年年末から不調なファミコンを活性化するかに見えたドラクエⅢだが
 1988年もファミコン関連は前年割れした 。「売れ線しか売れない」かららしい
・スーパーマリオ3は「スーパーファミコンまでのつなぎ」と言われていた
・パソコンソフトの信長の野望は18万本の売上
・交響組曲ドラゴンクエストⅢのレコードは35万枚
・スーパーファミコンは「2万円を切る」予定だったらしいが半導体の高騰により頓挫
・1988年に任天堂が少数精鋭主義を唱えだした
・スーパーマリオ3は415万本の受注に対して150万本の出荷
・任天堂がファミコンを北米輸出に優先したため日本で半導体不足が起きた
 スーパーファミコンの登場が遅れたのもこのせい
・1988年に任天堂は米国玩具のトップに立つとされた
・米国の任天堂のライセンシーの最大手はコナミで87年に1億ドルを売り上げた
・ファミコンを売るさいに任天堂は米国市場を徹底調査。
 調べたことは「アタリは何故失敗したか」
・ファミコン本体とソフトのセット売りは「アタリの失敗を調べた結果と思われる」と言われた
・ファミコンロボットは北米ではそれなりに売れたらしい
・米国でのファミコンの購買層は14~20歳で日本より年齢が高め
・1988年に最後のLSIゲームメーカーだったバンダイはLSIゲームの売上を前年比300%にした
 それに素早く対抗したのがゲームボーイだった
・1988年の年末年始商戦のゲーム関連は昨年割れ、
 原因はPCエンジンの穴をメガドライブがカバーできなかったせい
・ファミコンジャンプは予約状況では10~12才が中心で全体の48%
・メガドライブは14~15才がメイン
・ドラクエⅣは500万本を見込まれていた
・スーパーファミコンが登場しても、その成功を疑う向きが強く、
 各社ファミコンソフト制作チームを残していた
・CD-ROMは製造コストではROMより安いが、その大容量を満たすようなソフトを作ると
 開発コストが約3倍になるとされ敬遠されていた

その他
・1980年代初頭で玩具業界は少子化による売上不振に苦しんでいた
 「マスコミ離れ」と言われテレビキャラクター玩具の売上が全般的に落ちていた
・1980年代の日本で半導体産業が発展したのはオイルショックの原材料高の中で
 半導体だけ値上がりしなかったから
・1980年のバンダイグループの売上は約500億円
・ルービックキューブは大人に売れる玩具として
 「アダルト市場」の先例になったが定着しなかった
・バンダイの会長は1981年1月の段階で「勝負はついた」
 「これからは格差が開く」 「これからは高級化と低価格の二極化が進む」
 「業界の整理統合は1985年に一応カタがつく」と言っていた
・小学館の編集者によると「うる星やつら」のような男女同居ものがヒットした理由は
 少子化が原因としていた。つまり姉ないし妹がいない男の子が多いので
 家の中で女の子と付き合う機会が減ったからということらしい
・1982年の日本の子供は94%が「幸せである」と答えていた
 その一方で「子供のままでいたい」「これからの世の中はどうなるか解らない」
 「生きがいがない」とも答えていた
・1982年の田宮の売上は115億円
・劇場版マクロスは製作費4億円、動画枚数8万枚
・1980年代の玩具業界はディスカウンター問題に苦しんでいた。
 「1年を通して玩具の商いに力を注いで、
 年末・年始においしいところだけを持っていかれるのはたまらない」
・1984年の男児の流行りは「藤子コミック」と「ラブコメディ」で
 学年が上がるにつれてラブコメディが強くなり「女子の嗜好に近づいていく」と評された
・1984年11月号東映動画社長、今田智憲インタビューより
 「1作品当りの平均キャラクター収入というのは──
 当然その中には玩具も含まれているわけですが、 明らかにダウンしている」
 「昨今は一点集中なんですね、人気というものが。
 これは子供がマスコミずれしたということですね。
 でも、子供はもう絶対にマスコミから離れられないことも確かなんです」
 「だから1番の作品にならなければ駄目なんです」
 「1番になれば、これは大儲けです。3本の作品があるとして、
 これが3番、4番、5番であっても、 以前はそれでよかったんですが、今では大赤字です」
・トイザらスはトイズ・アール・アスと読まれていた
・トイズ・アール・アスの1983年の売上は3429億円。すでに米国玩具流通で一位
・1985年のプラザ合意以降の急激な円高で
 「輸出で食えなくなれば改めて国内の需要掘り起こしに努める」(タカラ社長)と言われていた
・プラザ合意以前のバンダイには「世界征服の野望」があったらしい
・業界は当初、米国向けの玩具だけを海外生産にしようとしていた
・山内溥任天堂社長は「うちは娯楽屋で教育ソフトなんかには深入りしない」と発言
・1986年5月、バンダイの山科誠社長は「もう合理化はやめた」と発言。
 バンダイ製品の海外生産比率を10%から50%に引き上げることを決定
・バンダイ製作の初の映画は「王立宇宙軍・リイクニの翼」第二弾は「小象物語」
・バンダイの二代目社長によると生産技術がアップしたため、
 かつては200万個を作るのに10社必要だったのが3社で済むようになったらしい
 またバンダイ全体の売上は伸びているが商品一点あたりの売上は落ちているとも
・バンダイ二代目社長、山科誠は「機動紳士」と紹介されていた。彼の年収は4500万円
・安売りをした小売業者に出荷停止などの制裁措置をして「小売りいじめ」をしたので
 バンダイと任天堂が公正取引委員会に立ち入り調査されていた
・セガの売上は1985年で309億円、タカラは488億円、バンダイは818億円
・1986年8月期の任天堂の売上は1177億円
・パソコンソフトの1985年の市場規模は630億円(日経パソコン調べ)
 1位はアスキーの75億円、2位はハドソンの30億円、3位はデービーソフトの27.5億円
・手のひらピピは15万個販売。100万個受注
エニックスの売上は1987年で67億円
・山科誠社長「将来、国内生産をゼロにしたい」と発言
・海外移転を最も進めたトミー工業は社員の4割をリストラ
・急激な円高で日本の製造業は海外に移転し、
 国内には金と人だけが残り「金貸し業」の国になると言われていた
・バンダイ会長山科直治の1987年新年インタビューより
 「私は昭和25年から玩具業界に入り、今年で37年になりますが
 今は将に変動の時といえるでしょう。かつてこんなに激しい動きはなかった」
 「ヨーロッパの玩具業界は、日本より先進していたが、今や高齢化し、若々しい感性がない。
 日本もこのままいくとドイツの二の舞になる。絶対に避けなければならない」
 「『もう競争の時代は終わった。ガツガツするな』という考え方は、敗者の弁」
 「(東南アジアは)日本もそうだったように日本やアメリカの商品を模倣している段階だ。」
 「それらのモノマネ商品に目くじらを立ててはいけない」
・1987年のお年玉は平均23070円(小学4、5、6年)
・1985年には約200億円あったバンダイの輸出の売上が1986年には100億円に半減した。
 原因は円高
・タカラがのらくろを商品化した理由は「不況時には黒が流行る。ダッコちゃんの時もそうでした」から
 すでにサンリオのフィリックスが流行していた
・のらくろロックが100万個販売
・富山幹太郎氏はプロボウラーになりたかったらしい
・ゴマちゃんのターゲットは女子高生~OL
・バンダイは1980年代にアパレル市場、玩具菓子、文房具、映画、音楽などに参入。
 経営の多角化を進めた。タカラ、トミーも同様
・バンダイの若手社員はおもちゃを作りたい人よりもアニメを作りたい人が多くて困っていたらしい
・1989年4月号。山科誠社長「お互いが喧嘩し合う戦国時代から、
 グループ化していく時代になった」と発言
・バンダイのビデオの購入者の55.7%が主婦
・ガンダム0080は5巻までで30万本
・となりのトトロのビデオの売上はレンタル8、レコード1.8、書店0.2
・トトロは2アイテムで17万個販売、ジジは玩具店で2万8千個、映画館で1万7千個販売
・「アンパンマンがヒットしていますが、これを短命に終わらせたくない、何とかロングキャラにしたい。
 ロングキャラになる条件としては、例えば時代背景があいまいで主人公達が年をとらないとか、
 時代を超越することが必要。サザエさん、ドラえもんはその典型でしょう」
 (ティー・ティー・ブレーン・石原登喜夫社長。89年10月号より)
・ミュージカル聖闘士星矢は「損をした」らしい

・1976年の子供番組の4月初回視聴率(東京地区)。ビデオリサーチ調べ
 新番組
 ガイキング 16.4%
 ダイアポロン 7.6%
 キャプター 12.7%
 キョーダイン 12.1%
 カゲスター 11.5%
 ゴーダム 5.7%
 マシンハヤブサ 10.2%
 続映
 サザエさん 34.6%
 バカボン 13.9%
 グレンダイザー 20.9%
 タイイムボカン 24.8%
 鋼鉄ジーグ 7.6%
 アクマイザー 8.6%
 母をたずねて三千里 24.5%
 ゴレンジャー 19.0%

・子供向け番組1976年10月初回視聴率(東京地区)
 グレンダイザー 24.3%
 タイムボカン 12.2%
 アクマイザー 7.8%
 鋼鉄ジーグ 3.8%
 クムクム 4.5%
 草原の少女ローラ 8.1%
 少年探偵団 11.3%
 バカボン 17.5%
 シンドバット 16.2%
 テッカマン 10.6%
 コンドールマン(再) 3.9%
 フランダースの犬 25.8%
 てんとう虫の歌 20.3%
 サザエさん 29.1%

トイジャーナル1970年代要約

・日本のプラモの金型はアメリカのそれに比べると頑丈さが違う
・1968年の一人当たりGDPでルクセンブルクは日本より低かった
・1970年はキャラクター玩具が不振で唯一のヒットがタイガーマスク
・「米国の生産力は五十年で百倍になるだろう」とケネディ大統領が発言
・1970年7月20日の週刊文春で任天堂山内博社長が暴言
 「イヤ、、玩具業者というのは、こりゃあもう、
 開発力、資金力、宣伝力、販売力すべて弱体なんですわ。
 一つの商品を強力に販売していく力がないから、任天堂のマネしようがありません」
 「……電波を利用して商品を宣伝販売する玩具業者がいませんでしたからな。
 みな零細ですからな、オモチャの業者は。」
 「任天堂の製品は、単なるオモチャじゃない。綜合娯楽品だ」
 「失礼ですが、そういう言い方'(本誌注、商品が当る、当たらないという言い方)は
 オモチャ屋の発想ですわ」
 「業界のひとたちとはまったく没交渉ですわ」
・給料の伸びが大卒と高卒と中卒で一緒だった
・バンダイ社長山科直治は「バクダン社長」と言われていた
・山科誠は柔道三段
・当時の中小企業の70%が社長が創業者
・当時の社長の給料は500~1000万円が多かった
・繊維総合商社の社長の給料が一番高く年収1186万円
・第一回国勢調査(大正9年)の時の日本の人口は5539万人、昭和45年は1億370万人
 (沖縄の人口は返還前なので含まず)
・東北と九州ではすでに人口が減っていた
・バンダイは夏の水物が強いとされていた
・杉山佳寿子は当時レギュラー番組を五本持つ売れっ子だった
・当時の玩具は3~9才による売上が8割とされていた
・当時は勘に頼って商売をしていたらしい
・おもちゃ市場は当時、年20%の成長をしていたらしい
・当時、テレビは「ガラス玉をダイヤモンドに変える」と言われていた
・常時、平均20社の玩具会社がテレビ宣伝していた
 このため午後4時から6時の時間帯は玩具業界が独占しているとされていた
・キャプテンスカーレットの痛手のためバンダイはテレビ宣伝から後退していた
・中嶋製作所やタカラの方がバンダイよりテレビ宣伝をしていた
・仮面ライダーの後にバンダイが手がけたのは月光仮面
・当時の社長は自分で創業した人が親から受け継いだ人より多かった
・当時の社長は私財作りよりも会社の拡大することを重視する考えの人が多かった
・タカトクは赤胴鈴之助、鉄腕アトム、鉄人28号、ウルトラマン、仮面ライダーを
 「ヒットさせた」とされており「マスコミ玩具のタカトク」と言われていた
・当時、マスコミ玩具はリスクが大きいと言われていた
・赤胴鈴之助がタカトク初のキャラクター玩具で100万本くらい売れたらしい
・当時のタカトクの売上は40億円でこれでも玩具会社としては
 規模が大きすぎるように言われていた
・タカトクの社員は40人。社員1人あたり売上で業界トップレベル
・当時、タカトクがてがけていたキャラクターは
 仮面ライダー、ミラーマン、シルバー仮面、ウルトラエース、バロムワン、キカイダー
・1971年のマテル社の売上は3億4993万ドル
・不動産業は千-三商売(千人の客の内、三人に売れれば成り立つ商売)と
 言われていたのに対し
 玩具業界は四-三商売(四年に一度ヒット商品を出せば三年は寝て暮らせる)と
 言われていた
・しかしそれは当時(1972年)から見て数年前の話で最近はそれでは潰れるらしい
・ガッチャマンの第1話の視聴率は19.5%
・任天堂の「マフィアゲーム」が
 「反社会的であり、青少年の健全な育成にとって好ましくない影響をあたえる」と
 され玩具業界から追放されていた
・業界としてはブーメランと手錠も追放される方針だった
・任天堂はマフィアゲームでSTマーク(Safty Toy。安全玩具マーク)を不正使用し
 違約金を取られていた
・仮面ライダーはV3でスポンサーはバンダイ、玩具販売はタカトクという
 ねじれ現象が解消された
・ウルトラマンタロウは「ウルトラマン太郎」というありがちな誤表記をされていた
・昔は「テレビ公害論」というものがあった
・カラーテレビの普及がマスコミ玩具を確立させたとされていた
 理由はラジオは音だけ、雑誌は動きがない、白黒テレビは色がないかららしい
・日本におけるキャラクター玩具の元祖は昭和32年の赤胴鈴之助とされていた
・1960年代の玩具業界では「可愛くないものは当らない」とされていたが
 グロテスクな怪獣玩具がヒットしたため「マスコミ玩具の威力を示した」と言われた
・1973年、当時のマスコミ玩具のシェアは20%程度とされた
・マスコミ玩具は玩具の中で最も寿命が短いとされた
・マスコミ玩具の売上は三~四年のサイクルがあるとされていた
・これまでテレビマンガが人気が出てから商品化という方向だったが
 玩具メーカーオリジナルのキャラクターで勝負しようという機運が生まれた
・タカラが「ワレメちゃん人形」を売り出していて、やっぱり追放された
・1973年はオイルショックのため玩具の価格は30%ほど上昇した
・オイルショックによるプラスチックの不足が金属玩具の好調をもたらした
・1973年末商戦でジャンボマシンダーでキャラクター物が復活したとされていた
 同商戦でジャンボマンダーの次にヒットしたキャラクター物はZAT基地
・オイルショックの中での倹約ムードで「玩具は必需品にあらず」とされ
 消費者に敬遠されていたので「玩具は必需品である」キャンペーンが望まれていた
・キャシャーン、ポリマー、テッカマンのスポンサーはタカトクで
 タイムボカンもその流れだったらしい
・当時は「トランプ類税」というものがあって任天堂の負担になっていた
・当時は「友達は皆、仮面ライダーだ。これでなきゃ肩身がせまいや」という空気だった
・大正の頃の日本の玩具はアメリカでペニートーイ(10セント玩具)として売られていた
・このためアメリカのバイヤーにかなり安く買い叩かれていた
・マジンガーZは「キャラクターものは粗雑でライフサイクルが短い」という
 玩具業界のジンクスを破った
 マジンガーZ以前は2年以上人気が保てたキャラクターがいなかった
・1974年のタカラの売上は94億円で過去最高
・アガツマはテレビ宣伝をなにもやっていなかった
・自動車玩具はお父さんの自動車がほしい子供の夢をかなえるためのものとされていた
・玩具の購買層の低年齢化が問題とされ「十歳になると玩具を買わない」と言われていた
 就学前の児童が70%になっているとされていた
・引き続き1974年末商戦で売れたのはジャンボマシンダーだった
・「男の子にはまだ自主性がある。それを手に入れるまで諦めない強さがある。
 それに対して女の子には、たやすく代替物を受け入れてしまう性情がある」
 「女児玩具は母親の模倣に基礎を置き、男児玩具は父親の模倣に基礎を置いている。
 この図式がくずれない限り女児玩具が男児玩具と比肩しうる日はこない。
  何故なら、父親と母親を比較した場合、父親の方が遙に行動範囲が広いのである。
 この広さは、一見すると、男児玩具とは父親の模倣ではなく、
 人類の、大人の模倣と言うべきではないか、と考えさせられるほどである。
 逆に言えば男児玩具とは、それほど幅広く、種類も豊富なのである。
  母親の世界は考えてみると実に狭い。育児、炊事の域を出ないのである。
 勿論、母親にも様々なタイプがあり、中には行動範囲が広く、
 あらゆることにも興味が持つものもいるだろう。
 しかし、その数は微々たるものであり、例外に属するというのが現実である。
 女児もまた、男児のように機械、宇宙等に関するものにまで
 興味を示すものは少ないのである。」
 トイジャーナル1975年4月号より
・タカラのキャラクター進出第一弾がジーグだった
・タイガーマスクからマジンガーZの間はキャラクター物にヒットはなかった
・1972年頃から「マスコミ万能論」が台頭してきた
・1976年新春放談より
 編集部「バンダイさんの場合は野性味あるいわばヤクザ肌なものがあり、
 トミーさんの場合には地道な運営方針があって、いってみれば官僚的なものがある」
 山科直治「トミーは大軍を擁して進軍する。
 バンダイは奇襲、夜襲あらゆるものを併用して戦をする」
 岩船浩「言ってみれば私たちの鈍重さというのは農耕民族ですね。
 山科社長は狩猟民族だ」
 山科直治「今後はアイデアや技術をも輸出の対象としていくことになると思います」
・野村保嘉(野村トーイ取締役マーケティング・マネージャー)
 「おもちゃ屋というのは所詮金持ちになれない商売ではないのか」
 「アメリカで向うの人の生活を見てみますと、多分私の父親と同じ程度に努力したであろう
 おもちゃ屋さんが、何千坪の敷地の家に住み、庭にはプールをつくり、
 あの人件費の高い国でメードを使って生活しているわけです。」
・フジテレビ新制作プロデューサー嶋田親一の発言
 「TV屋も映画屋もあまり頭がよくない」
 「(子供番組は)東映が半分以上のシェアを持っている」
 「『ハリスの旋風』があった。これはカネボウハリスの提供で、
  この頃からスポンサーと番組に密接な関係が出てきたわけです」
 「この頃までは玩具メーカーがスポンサーというよりも
 例えば『ウルトラマン』は武田薬品でしたし、
 その前のSFものは大体お菓子メーカーがスポンサーでした。
 ところがお菓子がだんだん高級なチョコレートなどに
 移行してきまして、ジュニアが対象となり、
 子供番組からヤングの番組に提供するようになってきたわけです」
 「『タイガーマスク』が覆面をしたスーパーマンの話として『仮面ライダー』の
 ひとつのアイデアになっているのは見逃せないことといえます。」
 「(最近のアニメは)玩具業界がスポンサーでもあるわけで、
 番組即商品というすごい時代になっているわけです。」
 「子供は非常に残酷でして、ツマらないものには全然ダメということになる。
 こうした子供たちに対抗するには心を鬼にしてやらねばならない」
・1977年新春放談より
 山科直治
 「昨年は他業界から侵食を受けたのが玩具業界だった。
 第1にファンシー業界、第2に弱電、第3にはその他だ。」
 「これからはメーカーが格差をつけますよ」
 「問屋は金を持った者が勝だ」
 「キャッチフレーズとして"お客様のためになっているか?"」

 佃光雄
 「売上50億円まではそのご主人の努力によって行きます」
 「社員の資質向上以外に我々が勝てるものは何もない」
 「50人の社員を横須賀の海上自衛隊の教育隊に体験入隊させます」
・1970年代後半にキャラクター玩具の人気が高まったため著作権を巡っての紛争が増えた
・ガキーンは思ったより売れている
・1976年末商戦
 タカトク「ゲーム、キャラクターともに昨年を上回る成績」
 ポピー「対前年比で二ケタの伸び」
・1960年代には「雑玩」とされたキャラクター玩具は
 1970年代後半には「市民権を得た」らしい
・キャンディキャンディのヒットによって従来のハード路線のキャラクターから
 ソフト路線にシフトする動きが見られるようになった
・マジンガーZは「他に類型がない」とされていた
・当時のポピーに「何故、私たち女の子の番組がないのか?」という投書が女児から来ていた
・ヤッターマンに女の子からキャラクターのファッションに対する要望が多くあった
・キャラクター玩具は「早クター」と言われていた(とにかく早く売りさばくこと)
・1976年に広告量でテレビが新聞を上回った
・テレビマンガは他番組と比べて子供たちが積極的に視聴している
・男子のトレンドは「ズッコケ」と「カッコイイ」。
 女子のトレンドは「ステキ」と「ホノボノ」と「ホロリ」
 男女共通は「ゲラゲラ笑う」と「ためになるもの」と「ジーンと心にしみるもの」
・小学生で「見たくても見れない番組がある」という不満が55%。原因は親の統制
・夕方6時の番組までは子供にチャンネル権があり6時半から父母兄姉に移る
・1976年頃からロボットアニメは「過当競争」と評されるようになった
・1977年では「劣等生」が主人公のギャグアニメが流行だった
・当時の子供が一番欲しいものは男子では1位が野球道具で2位がお金
 「お金があれば万事解決するという”高度”な読みである」と評された
 女子は1位は「洋服」、2位が「広い庭」
・悩みのトップは男女ともに「欲しいものが手に入らない」こと
・大人になってしたいこと
 男子では「クルマを運転する」「オートバイに乗る」「パチンコをする」で
 「教育ママが目をむく行動をしたいと思っている」とされた
 女子では「庭に花や木を植える」「あみものや刺繍をする」「おしゃれをする」で
 「主婦予備軍ができあがっている」とされた
・オイルショックの後、「不況に強い玩具業界」として売上を伸ばしてきたが
 1977年にようやく玩具不況がきた
・1977年8月号山科直治インタビュー
 「(不景気になると)社長も社員も受身になってしまう。
 私はこれが最も危険で警戒するべき点だと思いますね。」
 「どうにも自分の手に負えないと思ったら強いところに合併するのも一つの生き方ですよ」
 「うちの場合、よくなってきたのは四十九年からですが、その前に減量をやっています。
 際物(季節商品)をやめアメリカからも韓国からも撤退し、
 ご存知のようにトラベルもやめました。」
 「景気のいいときは攻めから守りへ、わるいときは守りから攻めへの態勢をととのえること」
 「我々は日本人なんですよ。アメリカでは役に立たなくなるとすぐに首を切るが、
 日本では、こんな社員要らんと思っても首は切らない。そのかわりボロクソに叱る」
・1975年のエポック社の「テレビテニス」が日本のテレビゲーム第一号
・エポック社には「この分野のパイオニア」としての自負があった
・高額だったテレビゲームを1万円を切る価格で初めて発売したのは任天堂。
 「価格競争に火をつけた」
・バンダイも「当面はこのテレビゲームに全力投球する」
・日本のテレビゲーム市場はアメリカの8分の1もしくは10分の1とされていた
・ザンボット3はクローバー初のキャラクター玩具で
 ボーンフリーはトミー初のキャラクター玩具
・バンダイが自動販売機に進出したのは1977年
・テレビゲームは1972年に米国のマグナボックス社が発売したのが最初
・米国では1977年に700万台のテレビゲームが売れたと推定されていた
・弱電メーカーが玩具業界にテレビゲームで進出してこないか恐れられていた
・「テレビゲームという畑を耕したのは良いが、収穫を家電業界に持っていかれた、
 ということにならないように、充分に注意しなくてはならない」(タカトクの専務)
・「ソフトウェアを玩具業界が受け持ち、ハードウェアを弱電メーカーが担当する図式」で
 共存共栄していこう考えが玩具業界にはあった
・プラスチックや金属玩具はもう大きな伸びが期待できないので
 エレクトロニクスが注目された
 「年間成長率も数10%という、高度成長時代のような
 ”玩具黄金時代”が再び来ることも夢ではない」
・当時、子供の玩具離れが進んで対象年齢が狭まっていた(小学校低学年まで)が、
 エレクトロニクス玩具で対象年齢を広げること(高校生まで)も期待されていた
・1977年のスーパーカーブームでキャラクター玩具が大きな打撃を受けた
・1978年2月号のポピーの中西朗の発言
 「キャンディキャンディが予想以上に売れたお蔭で、
  当社としては前年より10%程度売上げが伸びました。
  しかし男児キャラクターだけに限れば3割程度は落ちてます。
  ただ主人公そのもの、超合金そのものは少しも落ちていません
  個数的にも、ボルテスVは一昨年のコンバトラーVとほとんど同じです。
  では何がダメだったのかと言うと、ポピニカ関係が非常に伸び悩んだわけです」
・トミーの高橋靖男課長は
 キャラクター玩具がヒットするためには、
 ①キャラクター(番組)自体の魅力②商品の魅力③販売力、の三つが必要だと言う
・ダイターン3は、その番組名より主人公波嵐万丈の名前の方が先に決まっていた
 番組については「ロボットものに仮面ライダー的要素が加わったアニメーション」とのこと
 ザンボット+ダイターンで1978年のクローバーの売上の3割を見込まれていた
・タカトクの売上の8割がキャラクターによるもの
・プティアンジェはタカラ初の女児キャラクター
・1978年2月の段階で各社の提供番組
 クローバー ザンボット3
 タカトク ヤッターマン、ガッタイガー、マシーン飛竜、ここは惑星0番地
 タカラ バラタック、プティアンジェ
 トミー アイゼンボーグ
 ポピー ダンガードA、ルーベンカイザー、グランプリの鷹、ボルテスV、
      大鉄人17(再放送)、一発カンタ君、キャンディ、シャルロット、ドリちゃん
 ヤングエポック ペリーヌ、ドカベン、新巨人の星、家なき子、おれは鉄兵
・1977年の学歴間格差は高卒男子を100とすると大卒男子は122で中卒男子は86
・都道府県別に見た給与格差は大卒男子で最高最低の差が15%程度
・タカラが「スターウォーズ」の商品化権を得たのに対抗して
 ポピーは「銀河からのメッセージ」の商品化権を取得
・宇宙戦艦ヤマトの玩具の商品化権は野村トーイだったが「今ひとつ」だった
 第二弾はもちろんブルーノア
・トイジャーナルは最初は「東京雛玩具商報」で新聞形式だった
・トイジャーナルは戦時中のブランクがなければもっと号数が伸びていたことを残念がっている
・米国と同様カセット方式のテレビゲームが主流になるだろうと予測されていた
・1978年はスーパーカーブームが終わりキャラクター玩具への回帰が見られた
 1978年末年始商戦のキャラクター玩具では1位ダイモス、2位レオパルドン
 対前年比でポピーが150%、クローバー150%、トミー200%、タカトク200%
・「今年四月からテレビ朝日系全国ネット(毎週土曜日、午後5時半~6時放映)で
 スタートする『機動戦士ガンダム』は、従来のロボットものの域を出た、新しい番組です。
 これまで主人公の大活躍のみにスポットをあて、いわゆる剣術ごっこだったのに対し、
 機動戦士ガンダムは、敵味方が戦略・戦術をつくして戦う戦闘ごっこになっています。
 そして主人公ガンダムは、敵の侵略に対してコア・ファイター(戦闘機)からキャノン(重砲)、
 ガンタンク(戦車)に空中合体、空中変化して戦う痛快なスペクタルです。」
 トイジャーナル1979年3月号のクローバーの広告より
・バンダイはキャンディキャンディを”第2のリカちゃん”と位置づけ
 10年、20年と売るつもりだった
・「最近のSF・ロボット番組は低年齢層化が激しく、
 実際の商売になかなか結びつかない傾向も出ている。
 そこで『ガンダム』は、TV局や製作プロダクションの方ともよく協議して、
 小学校の高学年の子供たちが見ても充分楽しめるような番組にした。」
 トイジャーナル1979年5月号。クローバー社長、小松志千郎社長の発言
・トイジャーナル1979年11月号バンダイ副社長山科誠の特別講演より抜粋
 「日本の半導体メーカーは世界で2位」
 「やがて日本のメーカーが世界1位になるのは間違いない」
 「(半導体の)価格はどのようにして決まるのか?
 それは生産数量が大きな要因を占めています。
 勿論、数量が多ければ多いほど、安くなります。
 何故かというと、半導体といっても、
 もともとはプラスチックと若干の金属でできているため、
 原材料費は精々10円単位にしかなりません。
 これが何百円もするのは開発費に何千万円というお金が掛かるためであり
 ──ちなみに当社の製品のものでも1,000万円は掛かります──
 これを一個当たりの単価で消却していくため、
 数量が価格を決める大きな要因となり、
 数量が多ければ多いほど安くなるわけです。」
 「(エレクトロニクス玩具は)全玩具の売上げの10%くらいは、
 常時占めるようになるでしょう」
 「エレクトロニクス玩具とラジオコントロール・カーと比較した時、
 最も優れていると思うのは電池の問題です。
 エレクトロニクス玩具はラジオコントロール・カーと違って、
 電圧が低く、使用時間が非常に長いのです。
 大体、9Vの電池1本で、連続5時間はもちますから、
 子供が遊び疲れるくらいは大丈夫だと言えます。」
 「(エレクトロニクス玩具の)返品率はディスプレイ等を
 使ったのも含めて2%に過ぎませんでした。
 一般の電動玩具の返品率が4~5%ですから、
 如何に少ないかが判るでしょう。」
・ポピーの宣伝費は全体経費の75%
・ポピーは全国への流通パイプを持っているのでアニメ全国放送する必要がある
・Aタイム(夕方7~9時)の30分番組の電波代(CM代)は250万円~300万円
・日本も米国と同じ方向にいくだろうと言われていた
 つまり電波代が値上がりして高い料金を払える大企業の独占になる
 今(1979年)は日本の電波代は安いので小企業でもTV宣伝ができるが
 将来は米国と同じになるとされていた

49 名前:通常の名無しさんの3倍[sage] 投稿日:2005/11/20(日) 01:46:02 ID:???
ガンダム神話を発掘
各年のプラモの売り上げ個数が載ってる 点グラフなので目安として聞いてくれ 単位は万

80 400   1月に1st放送終了
81 3300  「機動戦士ガンダム」 「機動戦士ガンダムII・哀戦士編」 公開
82 4300  機動戦士ガンダムIII・めぐりあい宇宙編」 公開
83 2900
84 1100
85 1600  3月からZ放送開始
86 1100  2月にZ放送終了・3月からZZ放送開始
87 400 (別にSD150)     1月にZZ放送終了
88 800(600) 逆襲のシャア公開
89 900(2200) ポケットの中の戦争リリース
90 600(2300)
91 650(2200) 0083リリース・F91公開
92 350(1300)
93 800(1100) 4月からV放送開始
94 900(1200) 3月にV放送終了・4月からG放送開始


↓は図書館でコピーしたガンダム神話の問題のページのスキャン
ガンダム神話スキャン


ちょっと違うような

ガンプラ出荷数 整理.Ver

2002.3 3億2000万個(国内のみ)
2003.3 3億3000万個
2004.3 3億6000万個
2005.3 3億7000万個
2006.3 3億7600万個
2007.3 3億8300万個

ttp://www.bandai.co.jp/releases/J2002071101.html
ttp://www.bandai.co.jp/releases/J2003112001.html
ttp://www.bandai.co.jp/releases/J2004040801.html
ttp://www.bandai.co.jp/releases/J2005032401.html
ttp://epedia.blog360.jp/%A5%AC%A5%F3%A5%D7%A5%E9
ttp://www.news2u.net/NRR200717554.html

それぞれの差から各年度の出荷数
2002年 1000万個
2003年 3000万個
2004年 1000万個
2005年 600万個
2006年 700万個

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